幼少期~小学校

 伊丹空港にほど近い、大阪府豊中市に生まれ祖父母、両親、そして1歳違いの弟の6人家族で過ごしました。祖父・父は工務店を営み、私自身もそのような道を歩みたいと考えていました。

 小学校の頃は水泳、サッカー、エレクトーン、習字と様々な習い事をさせてもらいました。水泳は今でも泳げますし、サッカーに至っては今では指導者という役をいただいております。ただサッカーについては、当時は足も遅く起用でもなかったため決して上手ではなく、辛い思いもあって決して好きではありませんでした。そういった経験を現在の指導に生かし、接している子供たちにそのような思いをさせないようにしたいと思っています。

 また、小学校では生徒会長を務めておりました。が、当選までの道のりは長く、当時も5年生の時に一度落選し、その後6年生になって当選いたしました。

中学校~高校~大学~大学院

 進学し自由な校風の私立甲陽学院中学校で中学・高校と学びました。中学時代は柔道部、高校時代はサッカー部に所属しいずれも強いチームではありませんでしたが、一所懸命練習に励んだ思い出です。

 父や祖父のようにモノづくりをしたいと考えて京都大学工学部へ進学。土木工学を学び、当初はそのスケールの大きさについていけませんでしたが、研究室で材料工学(コンクリートの勉強)を学ぶにつれ再びモノづくりへの熱意を燃やし、ゼネコンに就職することにしました。

 なお、卒業論文、修士論文のテーマは「内的塩害と中性化の複合劣化を受けた場合の劣化性状」、つまりもともと塩分を含んだ材料を使ったコンクリートがその塩分と二酸化炭素による同時攻撃を受けるとどのようにダメになっていくか、という研究でした。

 また、写真のように海外旅行も何度か行き、外から見た日本や、海外の様子についてもとても興味深く見てきました。

会社員時代~初挑戦=落選

 大学院修了後、清水建設に入社。1・2年目に私鉄の高架工事・駅新設工事に現場監督として携わりました。現場で昼は工事管理、夜は書類作成や翌日の段取りなど忙しい日々を過ごしました。また、3~5年目には本社技術部に配属され、全国の地盤に関する課題解決のための設計・検討業務に従事しました。

 構造物を作り、地すべりのような自然災害を食い止める、そんな土木の仕事は楽しくやりがいのあるものでした。特にコンクリート打設により実物を目の当たりにしたり、技術検討により問題を発見できた時は無上の喜びを感じました。一方で、働く中で、何をどこに造るのか、あるいは私たちがどう働き、どういう国を創っていくのか、そういった社会のルールや仕組みづくりの方に目を向けた時に、政治家になりたい、という思いが沸き上がってきたのもこのころでした。

 そういった想いを胸に平成22年に会社を退職。衆議院議員 小林興起さんの秘書を務め一年後の平成23年4月に豊島区議会議員選挙に無所属で初挑戦しました。結果は1,380票、定数36のところ、53名中39番目で落選という結果でした。

浪人~初当選・2期目の当選

 家族には最初で最後の挑戦だと言っていたのですが、応援してくれた方々の声、そして何よりもその家族から、『もう一回頑張れば』という声をかけてもらい、再度挑戦する決意を固め浪人。

 浪人中はお手伝いする衆議院議員が代わり、その傍ら塾の講師としてアルバイトをして食つなぐ日々でした。そんな中で、自民党の公認をいただき豊島区議会議員選挙へ2度目の挑戦。結果は2,380票をいただき、9位での当選でした。

 一期では防災震災委員会の副委員長や、区議団副幹事長を拝命し様々な経験をさせていただきましたが、何よりも一番の思い出(?)は現職の衆議院議員が知事になってしまい、自分たちの会派からも数名の議員が抜けてしまったことでした。

 かくして、おかれた立場も周りの雰囲気も全く異なる中で2期目の選挙を戦い、ここでも2,099票、17位で当選いたしました。

そして現在

 2期当選後、子ども文教委員長、総務委員長と各常任委員会の委員長職を2年連続で拝命し、委員会運営を行うという前期では経験することのできなかった職務に勤しんでおります。令和3年度は自民党豊島区議団の幹事長として、ますます重責を担わせていただき会派運営・会派間交渉にも携わっております。また、このような議会活動だけではなく、地域でも多くの方からのお話を伺うことができ、日常のお困りごと(街路灯が切れた、各種申請がよくわからない、役所の担当部署がわからない)から都市計画に至るまでご相談いただくことで、解決につながることもあれば、力及ばず断念せざるを得ないこともありました。

 党務においても、自民党東京都連青年部の幹事長を拝命し各市区町村の若手議員と交流する中で、力を合わせて地域を超えたお悩み事の解決に繋がることも少なくありませんでした。地域の声を区政に生かし、この豊島区が日本一の街となるために粉骨砕身努めているところです!